この国の霞ヶ関役人が官吏公僕の立場権限を越えて米軍の治外法権の虎の威を借りて三権分立を侵し立法司法マスゴミと癒着談合して政治を壟断してきたのは地位協定あるがゆえです。原発利権などその最大最凶のものです。この官僚ファッショ政治は小泉アメポチスパイ政権時代に完成しました。その後は自民党は言うに及ばず民主党も菅前原岡田仙谷枝野野田等、みな小泉チルドレンです。米軍に奉仕するためには恥知らずな棄民テロ政治も嬉々として断行強制執行する、下品で愚劣な霞ヶ関アメポチスパイ官僚主導政治の最低のチンピラな手先どもです。
こんな腐ったアメリカさまべったり幇間宦官政治を日本国から一掃するには、人類史の恥辱「地位協定」の断固拒否、即時破棄が絶対必要であり、かつ十分条件であります。国会決議でも国民投票でも早い方で地位協定破棄を可決すればよいのです。結局のところ311に始まるこの亡国の一大危機にあたって日本に住んで独立不羈の誇りを取るか、奴隷の安楽(と言っても放射能テロを浴びながらですが)を取るかという問題だと思います。
GHQ(今CIA)と霞ヶ関法匪官僚の常套手段 政治的ガス抜きですね。
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>「55年体制から続く茶番劇大根役者共産党」
タイトルがすべてです。
おまけ「茶番劇」とは?
>腐れ親父の独り言様への自コメから
ttp://sacredplaces.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-8208.html
>国民が決めるのは原発の推進廃止の二者択一ではなく、地位協定という奴隷契約をこのまま後生大事に続けていくのかそれとも地に叩き付けて破棄するのかの選択である。
今までに日本国が巨額の代価を払って輸入した莫大な核物質の処理については、地位協定を破棄して対米完全独立してから日本国民自ら決めるか、地位協定を維持して隷属植民地のまま宗主国アメリカ政府に決めてもらうかのふたつにひとつしかないのだから。
対米独立前に隷米スパイ霞ヶ関が支配する日本国内で「脱原発」の是非を論じることは国際的には極東辺縁のコップの中の嵐であり、「脱原発」国民運動や国民投票は世界政治史上まったくの無意味な政治運動ごっこ茶番劇になってしまうであろう。 <
(新時代創造さまttp://soubiken.blog20.fc2.com/blog-entry-1081.html
共産党は、無駄な小選挙区候補擁立をするな!落ちるだけ。への自コメント)
さて、タイトルテーマ「一川防衛相やめる必要なし!!」について。
>新時代創造さまttp://cpt-hide-cook.seesaa.net/article/238554170.html
暴言を吐いたのは防衛局官僚トップであるから政治家である大臣に責任は全くない。大臣は問題官僚を直ちにクビにするだけでなく、そういう憲法違反の沖縄県民を騙し討ちにする防衛行政を防衛局が上から下まで上意下達で一体として「犯行」してきたことから、全員クビにして新たに民間から防衛局職員を公募するべきである。
新防衛局発足と同時に一川大臣が辞任する。これが大臣の正しい責任のとりかたである。悪い部下を持ったのが大臣の不運だったつうところが落としどころである。
前原如き犯罪者に他人をどうこういう資格なんぞかけらもないがね。これもまたマスゴミとグルになった霞ヶ関のバカの一つ覚え責任逃れガス抜き陰謀工作である。
目に見えないがいま日本を地球史上最悪に汚染しているものがある。
放射能と地位協定。
このふたつの地球に対する冒涜犯罪はいずれも戦争狂略奪拝金主義国家アメリカ政府の下品な野望にもとづいているゆえ同根である。
ゆえにこれを同時に一体として日本から一掃するのでなければ、現実問題としてどちらをも一掃出来ないのである。
すなわち原発対策石棺化と対米独立地位協定破棄は同じひとつの日本独立問題であり、同時に遂行達成すべき扶桑の島を伝えゆく日本人の地球に対する神聖な責務である。
脱原発は未来永劫決して政治的に達成できない非現実的政治目標である。
国民をそれとなくあおってこの脱原発運動をさせることで、霞ヶ関とアメリカ政府は日本の国民的政治運動エネルギーが、憲法無視の治外法権悪用で自分達が日本国民を実質支配できる源である地位協定の破棄決議へと向かわないように狙いを外らそうと、マスゴミ報道をつかってガス抜きスピン攻撃を仕掛けているのである。
脱原発は日本国が大量に保有する核物質の処理を考えると絶対に実現しない。といって核兵器製造などは絶対に出来ない。それやればいっぱつで国連から滅ぼされるからね。
ただし地位協定を破棄すれば完全な国策としての最終処理機能を併せ持った原発を新規に山中に作り直すと言う、発送電分離した公的基礎電源を日本は保有することが出来る。
何度でも言うけど、まず地位協定破棄とフクイチ石棺化が最大緊急のミッションであり、地球に対する日本人の責務である。
日本人であるということはなかなかに大変なことである。が、この扶桑の島の民に生まれ育まれた以上は日本人でありつづけてよかったと思いたいものである。