選択肢は2つあるように見えた。
”安全だが不便な生活”と”多少の危険があるが便利な生活”とである。
わたしたちはその選択をしていたつもりだった。
そして”多少の危険”について深く考えることはしてこなかった。
福島原発事故によって私たちは何を選択していたのかを考えさせられることになった。
”便利な生活”と”生命”との選択だったのだ。
”便利な生活”と引き替えに”生命”を賭けるバカはいない。
にもかかわらず、原子力発電を捨てようとはしない人々がいる。
福島原発事故に直面した私たちの最大の驚きは何か?
日本において、このような大事故が起こった、ということではない。
事故を収束させることができない日本の科学技術力である。
いや、世界中の技術を集めてもどうにもならないという事実である。
原発は人類の科学・技術水準を超えた危険な存在であることが明らかになってしまったのだ。
ドイツが”脱・原発”に舵を切った。
その意味は重い。
なぜドイツは原発を止められたのか (asahi.com 2011年7月4日)
政府は原発の是非を諮問する倫理委員会を立ち上げ、「10年以内に脱原発が可能」との提言を受けて、22年までに全ての原発を停止することを決定した。
驚きは、「倫理委員会」というその名称である。
”倫理”という言葉は、多分正確な訳語なのだろう。
ドイツは原発問題を倫理の問題ととらえたのである。
>原発の是非を諮問する倫理委員会には、元環境相やドイツ研究振興協会の会長、カトリック司祭、財界人、消費者団体など17人の委員がいたが、原子力の研究者は1人もいなかった。どのようなエネルギー政策を求めるかは、社会、消費者が決めるべきとの考えからだ。
日本においては、原発は経済・産業問題というとらえ方が中心になっている。
エネルギー不足が企業の海外移転を促し、国内の産業空洞化を進める、というような議論である。
政府は電力会社や経済界と一緒になって、電力不足の恐怖を煽るのに余念がない。
ここには二重の嘘がある。
そもそも電力は不足していないのではないか、という疑いがある。
そしてもう一つは、電力需要が供給能力を超えたときに起こるとされる”大停電”である。
しかし、私たちに”大停電”の正体は明らかにされてはいない。
東京電力はあり得べき大停電のメカニズムと規模そして復旧にかかる時間等の見込みを発表すべきであろう。
参考になると思われる事例をウィキペディアでみてみよう。
1987年7月23日首都圏大停電
1987年7月23日首都圏大規模停電とは、1987年7月23日に日本で発生した大規模な停電。東京他6都県で、280万戸(供給支障電力816.8万kW)が電力供給停止となった。
猛暑のため、昼休み明けで急速に電力需要が伸びていった。需要の伸びは1分当たり40万kWであったという。
電力需要の伸びに伴って無効電力も急速に伸び、電力会社では変電所に設置されている電力用コンデンサを次々と投入し無効電力の抑制を行った。
停電の復旧は、関東中央部は約30分で復旧したが、関東南西部は完全復旧までに3時間21分を要した。 一方、脱落した電源は、鹿島6号機は停電発生後約1時間20分、鹿島4号機は約1時間半、川崎6号機は約1時間50分で再並列した。
もしかして”大停電”とはこんなことなのか?
20年以上前の例ではある。
現在とは事情の変化もあるだろう。
それなら東京電力はそれを明らかにすべきである。
もっとも彼らにそれをやらせたら、おそらく最大限の被害を想定してくるだろう。
原発の安全性については最低限の危険しか想定していなかったくせに……。
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