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【稗史(はいし)倭人伝】

稗史とは通俗的かつ非正統的な歴史書等をいいます。 現在進行形の歴史を低い視点から見つめます。

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愚かで醜い毎日新聞…小沢裁判への低すぎる視点

北朝鮮のテレビ放送はひどいな、と思いながらNHKを見ている国民。
事故を起こした新幹線車両を畑に埋めてしまった中国はひどいな、と思いながら福島原発事故のニュースを眺めている国民。
スーチーさんを軟禁していた軍事政権はひどいな、と思いながら小沢封じ込めを見ている国民。
中国やロシアの情報統制、言論弾圧、情報隠蔽はひどいな、と思いながら読売や朝日や毎日を読んでいる国民。

さて、そんな国民は小沢一郎の訴えをどう聞くのか?
たまたま目に付いたマスコミの反応の一つに、毎日新聞の腐った社説がある。
形ばかり検察に検証を求めているが……。

社説:小沢元代表公判 意味あった法廷の審理 (毎日jp 2012 年 3 月 20 日)
……
また、検察が検察審査会の起訴議決を誘導したとの元代表側の指摘にも正面から応えてほしい。裁判員制度にも通じるが、市民の判断を曇らせない仕組みは欠かせない。中でも、審査会への証拠開示は適切だったのか。一定のルールの必要性を含め、早急に議論すべきだろう。


単なるアリバイ作りの検察批判らしきものを長々と述べ立てているが、例によってここまでは前置きに過ぎない。
本題はここからである。
こいつ等の常套語法。
逆説の接続詞、『しかし』、『ただし』があとを引き取る。

>ただし、検察の失態と今回の公判の意義は区別して考えたい。

早速、『検察の失態』と、事件の矮小化が始まる。
失態ではなく、その本質が問われているのだ。
『検察の失態』と『小沢退治』は別に進めなければならない、というのが腐った毎日の言い分である。

>強制起訴を決めた際、検察審査会は「公正な刑事裁判の法廷で黒白をつける制度だ」と、刑事訴追に市民の意思を反映させる意味を強調した。確かに法廷で明らかになったことは少なくない。

まず、検察審査会の意義を肯定する。
「公正な刑事裁判の法廷で黒白をつける制度だ」!
要するに、疑わしきは起訴せよ、という検察審査会の言い分を追認する。
一応前提は置いている。
『公正な裁判』
毎日は、『公正な裁判』を信じ切っているらしい。

>たとえば、元代表は「政治資金収支報告書は一度も見たことがない」と被告人質問で言い切った。「政治資金の収支を全部オープンにしているのは私だけ」と折に触れ繰り返していた発言は何だったのか。
>また、必要性に疑問符がつく4億円の銀行融資の書類に署名した点について「何の疑問も感じなかった」と述べた。一般人とはほど遠い金銭感覚は他にも随所でみられた。
>元代表は最終意見陳述で「いかなる点でも罪に問われる理由はありません」と述べた。もちろん、刑事責任と政治家としての道義的責任は、切り分けるべきだ。だが、法廷での元代表の発言などを通じ、改めて国会の場での説明責任の必要性が示されたことは指摘しておきたい。


『公正な刑事裁判での決着』と言いながら、
最後は道義的責任!
説明責任!

ところで、”毎日”は小沢一郎の陳述を聞くか見たかしたのか?
肝心なところはことごとく無視して枝葉末節ばかりを取り上げている。
肝心なところというのは、次のような小沢一郎の陳述である。

>東京地検特捜部による本件強制捜査は、政権交代を目前に、野党第一党の代表である私を政治的・社会的に抹殺することが目的であり、それによって政権交代を阻止するためのものだったと考えられる。
それは、主権者である国民から何の負託も受けていない検察・法務官僚による議会制民主主義の破壊行為であり、国民主権への冒とくである。

今、日本が直面する危機を乗り切るためには、このような国家権力の乱用を止め、政党政治への国民の信頼を取り戻し、真の民主主義を確立する以外に方法がない。以上の見解は、これまで15回の公判を経て、ますます鮮明になったと思います。

ところが、東京地検特捜部による強力な検察審査会誘導はそれだけにとどまりません。先に裁判長が田代検事による石川元秘書の違法不当な取り調べについて「個人的なものではなく、組織的なものであったとも疑われる」と指摘され、花崎検事による池田元秘書の取り調べについても、「利益誘導があった」「取り調べメモを廃棄した」と認定されたとおり、当時の佐久間部長、齋藤副部長、吉田副部長、木村主任検事ら特捜部あげての審査への誘導工作だったと考えられます。

それは正に、議会制民主主義を破壊し、国民の主権を冒とく、侵害した暴挙と言うしかありません。
その実態が15回の公判を通じて、具体的事実によって、いよいよ鮮明になったことが、本裁判の一番の意義であると私は思います。


毎日も小沢一郎も『公判の意義』に言及している。

毎日は、『国会の場での説明責任の必要が明らかになった』ことがこの一連の公判の意義であると言う。
小沢一郎はこの公判の意義をこう言っている

『検察は、2年間もの長きにわたって、不当・違法な捜査を行い、あまつさえ検察審査会の審査・議決を誘導して、強力に政治への介入を続けました。
 それは正に、議会制民主主義を破壊し、国民の主権を冒とく、侵害した暴挙と言うしかありません。
その実態が15回の公判を通じて、具体的事実によって、いよいよ鮮明になったことが、本裁判の一番の意義であると私は思います』


『議会制民主主義を破壊し、国民の主権を冒とく、侵害した暴挙』という小沢一郎。

『検察・法務官僚による議会制民主主義の破壊行為であり、国民主権への冒とくである』
『国家権力の乱用を止め、政党政治への国民の信頼を取り戻し、真の民主主義を確立する』

この小沢一郎の主張には全く目をつぶり、説明責任、道義的責任を叫び続ける毎日新聞・マスコミの醜さには、改めて強い怒りと軽蔑、そしてそれ以上に深い絶望を覚える。



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